無知の知
知の巨人と言われる人であっても古今東西のすべての知を完全に網羅している人は、きっといないのではないかと思います。一定のフィルターをかけた情報しかインプットする時間は人生にはありません。世界の全ての知を理解するには人生は短すぎます。だから自分では知らないことがあることを、みんな知っているはずだと思います。
今まで情報の真贋は書籍化というフィルターが掛かり編集者や校閲者など専門家のメガネによってフルイにかけられ書籍や雑誌として流布されてきました。ネットではその真贋など無関係に面白ければSNSなどを通して世間に広まっていきます。以前SNSで友人から情報拡散してください。という連絡をもらい確認もせずにリツイートしてしまい、それが後からデマだっとと分かり恥ずかしい思いをしました。(でも最近の日本やアメリカの政治家は嘘をついたりごまかすことが恥ずかしくないようでビックリしています・・・。これは例外中の例外です。)ですから贋物にはなりたくないという思いが強く情報の裏を取ってからと慎重にと思いましたが、それでは情報発信ができなくなります。
学問の世界では自説を主張するために、あらゆる前提条件下でその節が成立すること、つまり普遍性があることを主張して、なおかつ先人の主張を退けるためにその説が成立しない条件を見つけることが必要になるわけです。これは大変な作業です。しかしこのブログは学問ではないので、ある前提条件下ではあるが面白い見方かどうか、これを決めるのは読者のフィルターやバイアスに任せるという態度でも良いのでは?と思うようになりました
書いたログがすべて正しい
ログを発信するに際していちばん気になったのは「書いた内容がすべて正しい?」という問題です。これは世の中のブログすべてのことを指しているわけではなく自分の書く内容に限定して記しています。
考えてみた結論「モノゴトは、見る角度によって見え方が全く変わる。その違いが “ 面白さのコア “になる。」「見る角度が個性」と割り切ってログを書いて行きますので「そんな考え方もあるか・・・」と思っていただきたいと思います。
ここで言っている「書いた内容」とは様々な解釈があるような事象を指します。例えば「ポピュリズム」。いろいろなところで頻繁に使われますが、広辞苑によれば「一般大衆の考え方・感情・要求を代弁しているという政治上の主張・運動。」と意味が非常に曖昧です。ポピュリズムのことを話そうとして、このように意味が曖昧では聞き手のイメージしているポピュリズムとちょっとズレたところで議論を展開してしまう危険性が大きいという問題が起きます。このような問題を一つずつ説明していくことは面倒だから意見を公開せず、黙っていたほうが安全だ。としてしまい殻にこもってしまうという問題です。
まずこのログの前提ですが、学問として記しているわけではなく、モノやコトの製品づくりというビジネスの世界でヒントになる内容を目指しています。これが大前提になります。この大前提のもと、「モノゴトは、見る角度によって見え方が全く変わってしまう。その見る角度の違いが”面白い”と思えるコアになる。」つまり「読んでくれる人が”おもしろい”と思ってくれることに意味がある」とすれば、「記述された内容がすべての解釈を包含して正しいか?」ということよりも、「ある特定の条件の範囲であるが、視点を変えた考え方を提案することに意味がある」を重視することにしました。
間違って事実誤認をして書くのは、それを読んでくれた人にも間違ったことを事実だと伝えてしまうので、極力なくすように気をつけたいと思います。
バイアスとは個性
当然全ての人がすべての学問を知っているわけではなく個々人で様々なバイアスを持っているはずです。言い換えればこのバイアスを個性というのかもしれません。
ここに記すブログはもちろん運営者が持っているバイアスが掛かっています。このバイアスはたくさんの人達と様々な製品を企画し共生的に製品化してきた過程で生まれたバイアスです。いままで複数の企業で多くの製品を上市しヒットした製品もありますので、それほどズレたたバイアスではないと思います。このバイアスがこれからの製品づくりに良い影響を与える、足を引っ張るなど良くない影響を与えるか、それは一概に分かりませんが、製品づくりの「ヒントになれるのではないか?」という期待は持っています。
ですから「バイアスを開示することが個性を開示すること」と割り切ってログを書いて行きたいと思います。バイアスを取り除き純粋化・抽象化できれば学問にまで昇華できますが、そこまでは求めず、「そんな考え方もあるか・・・」程度で記していきます。
ではまた!(2024.1更新しました)
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