現代的「いき」とは

optimise.jp 「いき」の考察

 「いき」を考えるときまず読んだのが九鬼周造の「いきの構造」です。

「いきの構造」の再解釈

 九鬼周造の「いきの構造」は江戸時代から明治初期の郭がある時代の「いき」であり現代では通用しませんので再解釈を試みます。

 「いき」を考えるときまず読んだのが九鬼周造の「いきの構造」です。

Amazon.co.jp

 そこで描かれている「いき」は、「諦めと意気地と媚態が織りなす綾」と説明されています。この「いき」が内包としている「諦め」「意気地」「媚態」について現代での解釈について考えます。

「いき」が内包する「諦め」「意気地」「媚態」

 「諦め」ですが、九鬼は異性との意思疎通の中でさっぱりしたと捉えるべきとしています。九鬼の時代と違いますから郭というものは存在しませんから、当時の遊里での遊び方などはわからないのですが、異性との関係に粘着質になることは「いき」でないことは分かります。これは現在でも同様に、アイドルなどに対するストーカー行為が如何に卑劣であり、全くもって「無粋」な行為です。異性間での意思疎通の中でさっぱりとしていること、これは異性間との関係のみならず、金や権力に執着することも「いき」でないと捉えていたと思います。この当時ですから権力は出自で決まります。金儲けも今よりは難しかったと思いますので、執着しても仕方のないことであったのも事実です。

 次に「いき」にとって内包となる「意気地」です。生きが良く溌剌(はつらつ)というのは基本な気がします。病に臥せっていたり、怪我を負っていて動きが悪いと「いき」というイメージになりにくいからです。浅草に住んでいた頃、近所に高齢のお爺さんとしか見えない方が居ました。その方は普段は溌剌というよりもゆっくりとしか歩けなくなっているように見受けられましたが、祭になると真っ白な髪を角刈りに仕上げ「いき」に半纏を着こなし、頭と呼ばれ神輿に乗って担ぎてを鼓舞する姿はまさに「いき」を体現したという様子でした。これも溌剌として見えるから「いき」という言葉が使えるのだと思います。

 そして媚態ですが、現代分に言えばセクシーでしょうか、セクシーは他者をアピアランスから性的誘惑をエンパワーメントする概念ですから、本人から他者をアフォードする概念として英語ではセダクション(Seduction|性的誘惑)といった直接的に異性を性的魅力で誘惑するパワーを指します。しかし「いき」でいう媚態はそんなにあからさまなものといった感じはしません。直接的な性的誘惑は「いき」ではないというイメージです。着物の襟を抜くなど、かえって性的魅力の出る部分を隠してどことなく匂わせるくらいが「いき」にはちょうど良いのです。日本のファッションをパリコレクションで発表し日本初の世界的アパレルブランドとなったコムデギャルソン、Y’s、Issey Miyakeの特徴のひとつはセダクションがないことです。これも「いき」の伝統を引き継いでいるのではないかと思います。

 「いき」という概念が流行らなくなった背景には日本人がみんな豊かになったということであれば問題ないのですが、そうとも受け取れません。 イーロン・マスクのような大成功者で大金持ちも出自は裕福でない普通のこどもというのも、自分も成功者になれる機会平等ああるから「いき」ということばはなくなった。つまり経済的成功が誰でも可能だから「諦め」は敗者の言い訳となり、だったらカネがある方が良いとなった。大成功してカネをかければ「意気地」も「媚態」もある程度は補えるから、といった考え方に変化したため「いき」を殺したのかもしれません。

カネで買えないもの

 しかしカネをいくら持っていても買えないもの。それは何でしょうか

  • 健康(ある程度まで可能)
  • 容姿(整形である程度まで可能)
  • 人格・気品(衆目下だけ取り繕ってもこれは底が割れます)
  • 怜悧性(賢さですがこれは努力次第)
  • クリエイション(勉強してある程度のことはできるがゼロから創出することは難しい)

 ここではカネで買えないものの中から努力で得られる可能性のあるクリエイションを深堀りしてみます。怜悧性は後述します。

クリエイションする対象物

アート

  • 絵画
  • 立体造形
  • 音楽

デザイン

  • グラフィック
  • テキスタイル
  • プロダクト
  • ファッション

文学

  • 物語

これらを総称してセンスと呼べばセンスが良いことを「いき」と表現するのは良いように思います。「いきだね!」が最高の褒め言葉にできないか更に考えます。

ではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました